イタリア人調教師がフランスに移住
10月8日からイタリアでは競馬が行われていない。すべてが膠着状態である。競馬関係者たちは、準備をし始め、他の新天地とりわけフランスで調教事業をすることを模索している。平地競走のファビオ・ブロージ(Fabio Brogi)調教師の場合もそうである。同調教師は間もなく、リヨン地方で調教事業を始めるだろう。
ブロージ調教師の近いうちにローマを離れリヨン地方シャゼー=シュル=アンに事業を移すという決定は、非常に強い警告である。イタリアの平地競走、より一般的に言えばイタリア半島の競馬全体は、重大な危機を経験している。10月8日以降、繋駕競走においても平地競走においても全くレースが行われていないのだ。ファビオ・ブロージ調教師は、「賞金額が最後に下げられてから、イタリアでは取るに足りない金額のためにしか競馬を行うことができません。一方フランスではあらゆるところで良いレースが行われています。私たちのところでは、小さい家族経営の厩舎のために調教を行うか、あちこちのレースで少しずつ賞金を稼ぐしかチャンスがなにのです。私はその方法で働く気がしませんし、私の父は私に他のことを教えてくれました」と語った。
この半世紀においてイタリアで最も偉大な調教師の1人であった故ロレンツォ・ブロージ(Lorenzo Brogi)調教師の息子であるファビオ・ブロージ調教師は、この決定をすることをためらった様子であった。「イタリアの危機と、来る未来を念頭にいれ、私はよく考慮しました。私は良い料理人でもありますが、47歳で転職するのは遅すぎます。私は人生において、ずっと馬に乗り調教してきました。しかも息子のシモーネも調教師免許を取得しようとしています」とファビオ・ブロージ調教師は述べた。
ファビオ・ブロージ調教師に続いてルイジ・リカルディ調教師も
ファビオ・ブルージ調教師は近頃リヨン地方に新しい調教センターを見つけ、数週間中にそこへ移る決心をした。同調教師は、「私は24馬房ある厩舎を借りる決心をしました(編集者注:正式な契約はまだされていない)。12月中旬にシャゼー=シュル=アンですべてが揃ったら、私は仔馬は本拠としているローマに残しますが、管理馬の大部分をフランスへ移すでしょう。私が管理馬を預かっている馬主の数人は、私のこの冒険を認めることにしました」と述べた。しかし、どうしてリヨンを選んだのだろう?1992年モルニー賞でザフォニック(Zafonic)の2着となったセクラージュ(Secrage)を管理したブロージ調教師は、「謙虚であり続けるべきであり、そのためにフランスの地方で事業を構えることにしたのです」とコメントし、「地理的な面でもリヨンを選ぶことは戦略的であり、ローマからも北イタリアからもそれほど離れていません。これから数週間において、私はすでに走る用意のできている馬を移動させようと思っています」と付言した。
イタリア競馬はレベルの高い関係者(調教師、騎手)がいるにもかかわらず、強力な暴風雨に晒されている。フランスは最も近い避難所である。ファビオ・ブロージ調教師は出発する用意ができており、一方もう1人の調教師ルイジ・リカルディ(Luigi Riccardi)調教師もまた大半はローマに残すものの十数頭の管理馬を移動させることを決定している。そして数人のイタリア人騎手は、カーニュ=シュル=メールの冬開催に照準を定めている。
By Franco Raimondi
[Paris Turf 2008年11月4日「Un entraineur italien s'installe en France」]
(写真:左シモーネ・ブロージ氏、 右ファビオ・ブロージ調教師)
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